ヘルシンキの「オールドマーケットホール」は、飲食店と肉屋、魚屋、お菓子屋など計25店舗が入っており、ランチや観光などにおすすめです。

場所はヘルシンキ大聖堂から徒歩10分、港とKauppatoriマーケット広場のすぐそばにあります。トラムで行く場合は、2、3、1A、1番。ホールの隣には、観光客用の駐車スペースがあります。

オールドマーケットホール Old Market Hall(Vanha Kauppahalli) ©︎Travel Design 北欧
オールドマーケットホール Old Market Hall STORY (Vanha Kauppahalli) ©︎Travel Design 北欧

マーケットの丁度中央に位置する飲食店「STORY」です。

オールドマーケットホール Old Market Hall STORY (Vanha Kauppahalli) ©︎Travel Design 北欧

マッシュポテトのミート乗せとサーモンスープです。量が多く、スープにもジャガイモがたっぷり入っているので、1皿2人分くらいあります。

オールドマーケットホール Old Market Hall STORY (Vanha Kauppahalli) ©︎Travel Design 北欧

お食事を頼むとパンが付いてきます。バターが濃くて美味しい。コーヒーは自分で好みに調節出来るよう、セルフサービスです。

オールドマーケットホール Old Market Hall STORY (Vanha Kauppahalli) ©︎Travel Design 北欧
オールドマーケットホール Old Market Hall STORY (Vanha Kauppahalli) ©︎Travel Design 北欧

19世紀のヘルシンキでは、食料品は主に屋外市場で売られており、屋根付きのホールで行われ始めたのは、19世紀末。食品衛生についての新しい意識が室内になった理由の一つでした。

ヘルシンキで最初の屋内ホール、オールドマーケットホールの建設は1888年にマーケット広場近くのEtelärantaで開始されました。建物は、ヨーロッパの大都市でマーケットホールがどのように建設されたかを研究していたGustafNyströmによって設計されました。

オープン時には、ホールは120の屋台と中央のギャラリーに6つの店があったそうで、売主は食肉製品、卵、バター、チーズ、園芸食品の販売を許可され、世紀の変わり目には、屋外市場からの魚取引の一部もホールに移されました。

ヘルシンキのマーケットホールの繁栄は、1914-1918年の第一次世界大戦と1917-1918年のフィンランドの独立と内戦で終わりました。数年間の品不足の後、1920年代初頭に貿易が再び開花し始め、他のフィンランドの町にも市場が多く建てられました。

1930年代初頭、世界的な景気後退はオールドマーケットホールでの取引に打撃を与えました。貿易は10年の終わり頃に回復しましたが、フィンランドの冬の戦争は1939年に勃発し、オールドマーケットホールの運営を脅かす厳しい年が6年間ありました。原材料は食料不足の為、厳密に配給されましたが、闇市場取引はホール商人にとってさらなる脅威でした。時には、戦争時代の冬は、ひとり親家庭や年金受給者など、貧しいヘルシンキの住人の多くが、飢饉の危機に瀕していました。 1945年の直後に再び原料の入手可能性と取引が再開されるまで、配給はフィンランドの戦争後さらに10年間続けられました。

配給は1954年に戦後のフィンランドで終わりを迎えました、そしてその後の数十年は食料貿易が回復し、年々拡大しました。 1995年にフィンランドがEUに加盟したことは、外国料理を売っている多くのマーケットホールの商人にとって大きな変化を意味しました。例えば、オールドマーケットホールのチーズショップは、フランスや他の中央ヨーロッパ諸国からの低温殺菌されていないチーズの販売を開始することができ、その輸入はEU加盟前にはフィンランドで禁止されていました。チーズ商人Tuula Paalanenはこのイベントをよく覚えています。

私たちのカウンターにこれらのチーズが登場したことで、フィンランドでも全く新しいチーズ文化が始まり、それがフィンランドの乳製品会社がチーズ生産の新しいスキルを学ぶようになりました。マーケットホールの肉屋での食肉取引は、イタリア、スペイン、フランスなどの国々からのハム類、ソーセージ、生ハムの到来によっても変化しました。フィンランドがEUに加盟してから20年後の今日では、オールドマーケットホールでの製品選択はこれまでよりも良く多様になっています。

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